吹田市垂水町にある垂水神社に行って来たよ ~其の二~


こちらは別の入口。ちょうど垂水神社の裏手の鎮守の森、というか丘の方面から。ちょっと小高い場所なのでここらの高台からの眺めは結構良いらしく、以前に訪れたことのあるオヤジ殿も申しておりました。

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ちなみにこの高台へ抜ける道、というか階段がかなり急です。運動不足なオッサンにはきつい...

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そういえば階段を登る時も降りるときも手すりに停まっていたトンボが自身の歩調に合わすかの様に、そう一緒に付いてくるかのように何度も横にやってきました。面白いですね!なんかそういった習性でもあるのかな?黄色のトンボさん。

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いや~、距離的には少しなんですけどね...息切れしましたわ(^^;

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今度は青いトンボ。シオカラトンボだっけか?

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ようやく拝殿エリアへ帰還

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この通路の入口にはこの様な石碑が建ってます。平成23年にこの垂水神社近隣にマンション計画が上がったそうなのですが、垂水神社とその鎮守の森を守る【垂水神社・ 垂水神社氏子の会・垂水の森を守る会】が平成26年まで、3年に渡る反対運動を行い、最後には建設業者からマンション建築予定地を森のままに買い取るという形で計画を退けたそうです。これは凄いですね!神社、氏子さん、地元の方々がこの神社と森を長年敬い、大事にされてきた証ですね。

以下、石碑文

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垂水の子孫たちへ
 
垂水の神々がお鎮まりになるこの森は、お社やお瀧とともに飛鳥時代から今日に受け
継がれてきた。 奈良時代には万葉集に詠われ、平安時代には延喜式内明神大社の
社格をいただき、豊島郡内一の宮と尊崇され、江戸時代には菊の御神紋に三葉葵紋の
使用が加えられた。
 
今日なお大阪府内4000余社等で、第三位の広さの鎮守の杜を保つ。 住宅密集地では
府下最大の自然緑地であり、この地にご縁をいただく多くの氏子や尊崇者の心の拠り所
となっている。
 
明治維新以降およそ150年、氏子の増加に伴う神賑わいの御栄えの一方、神社の
経済的事情や住宅開発の波が押し寄せ、境内地は減少の一途をたどってきた。
特に、昭和から平成の世は物の豊かな時代となり、ややもすれば大切な物を軽んじて
しまいかねない風潮の表れか、東隣接地にマンション建設家一家鵜が持ち上がった。
 
事ここに至り、この時代に命を頂いた者として、代々受け継いで来た貴重な神々の森を
自分たちの時に損なうべきではないとして 「 垂水の森を守る会 」 が結成され、3年に
及ぶ大運動が展開された。
 
反対者署名13,528人、活動資金431万円余り、さらに目標額の四倍に近い3,807万円
余りの奉賛を得て、建設計画の中止と業者の完全撤退を実現し、当該地を600万円で
買い取って境内地に加え、杜を整備できたことは 「 垂水神社の奇跡 」 と世に言わし
めたのである。
 
私達は、この経験を後世に伝え、祭祀の途切れさせることなく、神々の森を遠い将来の
氏子・崇敬者に伝えていくことこそ御神慮にかなうものと考え、その思いを
永遠ならしむるため、ここに碑文を刻み、未来への伝言とする。
 
平成26年6月吉日         垂水神社
                    垂水神社氏子の会
                    垂水の森を守る会
 
                                                ( 碑文 )
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これは読みごたえありました。その間に蚊に咬まれましたけどね(^^;

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祭祀庫

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いや~、広い!(クドイね)

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さて、拝殿の左側から階段を下ると、「垂水」の謂れにも関わる「垂水の小滝」

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龍神さん。

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楠明神社

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三輪社

さて、この垂水神社の社名の由来

~「垂水」とは、「崖から流れ落ちる水」を意味する。千里丘陵南端に位置する境内は地形的に丘陵からの湧水が生じる場所で、当地を鎮座地とする垂水神は古くから水の神として信仰された。また垂水地域では、古代氏族として垂水氏(たるみうじ、垂水公)が居住し、垂水神社の祭祀にも関与したことが知られる。~

以上、WIKIPEDIAより抜粋。また公式のHPには...

~垂水の滝(本滝、後ほど画像上げますが)の水が、孝徳天皇の御代旱魃に苦しむ難波宮に引かれ、その功績で垂水という名前を頂きました~

とも記載されてます。境内には井戸もありますし、神社に隣接する住宅街の水路には綺麗な水が勢い良く流れておりましたので、この辺一帯が垂水の水を利用して新田開発されてきたのでしょうね。

其の三に続く

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